日本一周19日目・佐賀県矢のごとし
鉄道唱歌第二集が覚えられない竹氏です。
東海道は大体歌えるのになぁ……
と言うのも、今日はJR最西端の駅があり、過去には鎮西一と歌われる軍港を中心に発展した佐世保からスタートです。
宿としたトマトクラブさんから出て、まず向かったのは、このレトロな建物。
『旧佐世保鎮守府凱旋記念館』です!
第一次世界大戦における帝国海軍の働きが、列強に高く評価されたことから建設されたのだとか。
様々な海軍の行事が行われていたそうですが、太平洋戦争後にアメリカ軍に接収され、長い間米軍用の劇場(シネマ?)となっていたそうです。
その時に白塗りにされていたそうですが、つい数年前に最初期のカラーに戻ったのだとか。
レトロモダンな階段を上れば、そこは展示室となっています。真っ先に目に入るのは、陽炎型駆逐艦8番艦『雪風』の模型。様々な激戦を潜り抜け、最後まで生き延びた幸運艦として有名ですね。
2階からホールを見下ろす。
現在では市民ホールとして利用されているため、今日も何かのリハーサルが行われていました。
このホールの造りを見て、なんとなーく中之島公会堂を思い出しました。似てない?
管理人さんにも解説を聞かせていただき、建造当時としては非常に珍しい鉄筋コンクリート造であったこと、また海軍が最新鋭技術を注ぎ込んだであろうこと、なるほどなぁと思いました。列強に負けじとという時代だったのでしょう。
次はすぐそこ、佐世保駅です。
上でも述べたように、JRとしては最西端の駅で、松浦鉄道も入線する主幹駅。
これも昔は軍事目的で鉄道が必要だったからでしょう。
構内には先日も見かけたキハ66+67系気動車。この子達はこれから、区間快速『シーサイドライナー』として、長崎駅へと向かいます。
こちらは松浦鉄道のMR-600形気動車。伊万里まで向かうようですよ。
シーサイドライナーを見送り、私もナナハンちゃんと佐賀県へ向けて出発です。後で気づきましたが、長崎県でカステラ食べるの忘れてました( ; ゚Д゚)
しかし、福江島に居たからか、あまりの車の数に結構フラストレーションが溜まります……うーむむ、やっぱり都会は辛い。
ふらふらと国道35号線を西へ。その途中でふと休憩です。
JR有田駅。有田焼で有名な町の駅ですが、なんと駅名標や隧道の名板まで陶器です。吹きさらしにも強いんでしょうかね。
残念ながら列車はタイミング合わず……駅舎の反対側にはコンテナがあったので貨物取り扱いもやってるんでしょうか?
近隣地図を眺め、Googleマップに道を聞き、持ち帰れない陶器はとりあえず放置する形で道を進みます。
なんと言っても、佐賀県!私今まで本気でノータッチだったので情報がない!
数少ない情報源は、漫才師の『はなわ』さんと鉄道唱歌、あとは『ラーメンズ』の『不思議の国のニポン』くらいです。
×冬季五輪
△登記五輪
○陶器五輪
だそうです。コバケンさんェ……
そんななか、思い出した歌詞。
「つかれてあびる武雄の湯 みやげにするは有田燒 めぐる車輪の早岐より 右にわかるゝ佐世保道」鉄道唱歌第二集59番より
名前だけで行きましたが、なんかすごい楼門でてきたぞ((((;゜Д゜)))
泉質はアルカリ塩泉……いわゆる単純温泉ですが、ここも火の国九州である以上、関西の単純泉と同軸に考えるのはやめましょう……
2~3個くらいお風呂はあったのですが、ここは無論一番レトロな『元湯』を選択。
内張りは木、天井は高く梁が走ります。見た目で言うなら、竹瓦温泉を近代化した感じ。洗い場はシャワーもカランもありますし、石鹸類だって常備です!
湯船は2個……選べる熱湯と温湯ですが、源泉温度も49℃くらいと比較的温め(入れる温度ではないですけど)なので、熱湯も45℃くらいですぐに入れました。
ぬるりとしたお湯……浸かってるだけで指紋が無くなったみたいに感じます。きーもちいーいぞー!!
サッパリしたあとは別の建物を見学です。こっちは楼門と似た配色で、八幡宮みたいに見えますね。
新館?という以上、最初からあったわけではないのでしょうが、今は記念館となっていました。
入ってすぐには売店。
外壁の色の派手さとは真逆に、内側はなんとも静かな高級感がある雰囲気です。
ここが銭湯として使われていた時代のアイテムたち……えっ、銭湯!?
営業当時は『五銭風呂』と呼ばれていた男性浴室。
隣には十銭風呂や貸しきり湯もありました。やっぱり銭湯なのかこれ、信じられんぞ( ´;゚;∀;゚;)
2階に上がって廊下をパシャリ。なんだかノスタルジーを感じます。
こう……蒸気機関車が混合列車を牽いて走るのを、周囲から湯気の上がる窓辺で、客室からラムネでも飲みながら浴衣着て眺める……そんな妄想が捗ります。私だけかな?
武雄温泉、そりゃ疲れて浴びると謳われた温泉は伊達じゃなかったです。当時の鉄道唱歌は地理教育にも使われ、また大ヒットとなった曲でしたから、これにも納得です。
さても、この先はどうするか。今度はラーメンズのネタを思い出しました。あれアメリカンでしたかね?
吉野ヶ里!
って単語がラップで出てきたんですよ。確か佐賀県で……遺跡?
とりあえずわからないなら行くまで!と、ナナハンちゃんに144円/リットルのガソリンを入れ、さらに西へ。
道中……台風はまだのはずですが、猛烈な暴風に襲われ2、3回ひっくり返されそうになりました!
路面脇に積まれた枯れ草が吹き上がり、こちらに襲いかかってくる始末……恨みでもあんのか!?
そんな暴風を潜り抜け、なんとか到着です。『吉野ヶ里公園』
わかんないときは正面からってお婆ちゃんが言ってた!(言ってない
と言うわけでメインゲートの東口から入ります。460円のチケットを買って……貫頭衣っぽいの着た若い係員さんにクイズラリーしてるからとグイグイ来られる(汗
説明でめちゃんこ噛んでたから可愛かったんですけどね(^_^;)
まぁしかし、どうせならやってみましょう!日傘も借りたし、やるだけタダだし!
クイズの内容とか係員さんの格好とかから、あぁ、縄文とか弥生とかの遺跡かとようやく理解しスタートです!
これなーんだ?
第一問はこいつの目的は?でした。名前は逆茂木……まぁ多分防御用ですね。人間をモズのはや煮えにするための奴!……じゃなくて、実際は突撃の抑制とか行動を制限するものでしょう。
はや煮えになった人も居るかとは思いますが……(°Д°)
あっ、クイズの内容書いちゃダメですね!他は行ってみてくださいなー
ダミーイノシシ。なんか可愛い。
櫓が一杯。そんなに防衛をしなければならなかったんでしょうか?
弓矢で武装した兵士が複数人控えていたでしょうねぇ……でも、普通の小さな集落ならそこまでやらんでもって数です。
なんて思ってたら、この場所は集落の中でもその長や専門家たち知識層が集まった重要箇所でした。そりゃ防御固いわ(^_^;)
ちなみに写真手前の建物は調理場だったようで、この杭と堀で二重三重と守られた内側全ての家に配食していたそうです。個々じゃないのね。
私知らなかったんですが、この時代には既に養蚕ってあったんですね。
機織りを専門とする家や、それ専用の倉庫なんかもありました。
このボコボコしてるのはお墓です。当時は甕(かめ)と呼ばれる壷に遺体を入れて埋めていたそうで、そのため保存状態がよくいろんなことがわかるそうです。
なお写真奥の丘陵になっている部分は墳丘墓といい、歴代の王族の墓だそうです。古墳の前段階って感じですね。
最大権力者の家だそう。他のと比べると確かに力の入れ方が大きく異なりますねぇ……。
そして、最大の建造物、主祭殿です。高床部分を含めると3階建ての高層建築ですね。
真ん中のが一番偉い人らしい。この様式は挑戦半島あたりから来たんじゃないかと思えますね。
便利屋の巫女さん。お告げ聞いたり占ったり色々する偉い人ですが、卑弥呼はこれと権力両方でしたよね?( ; ゚Д゚)
かなりの広さがある公園を歩き回り、時折また暴風にあおられながら、ザっと一周しました。無論クイズもオッケーです。
クイズの参加賞で貰えた『やよい』ちゃんの缶バッジ……なんかかぼすちゃんと似てない?
残念ながら相方の『ひみか』さんは不在です。また機会があればね( ´∀`)
ここで熊(兄)から連絡が。鳥栖の駅に行けとのこと。シムシティのDr.ライトかお前は。
と、言うわけで鳥栖駅へ。長崎方面と熊本方面の分岐点でもあるターミナル駅ですが……なんか尋常ならざる人の数ですよこれ((((;゜Д゜)))
どうやらサッカーの試合のようで、その観客さんが列車つく度にワッサワサです。
それを横目に、ツキノワオススメの駅蕎麦を食べます。かしわ蕎麦だそうで、リーズナブルなのにとても美味しい!スープ飲みきってしまいました(笑
更に鳥栖駅には保存機が!
明治期の輸入蒸気だー!
京都鉄博の233号蒸気機関車の姉妹で、230形268号蒸気機関車というそうです。
とてつもなく古いタンク式蒸気、軸配置は1B1となんとも可愛らしい機関車です。文化遺産にも登録される高年式っぷりですよ!
梅小路の姉にはよろしく言っておきます。
ここから私は明日の人吉祭りのため、一気に高速道路というルール違反を用いて人吉へ。
大量の羽虫を撥ね飛ばしながら160kmをかけぬけました。
明日は台風かもしれないのでちゃんと宿。
でも、全力で楽しむぞー!
それではまたお会いしましょ~