ナナハンと一緒に日本一周・20代紀行

1975年式CB750four K4と20代中盤の阿呆が、京都発でのんびりぼんやり日本一周します。

日本一周5日目・さらば宮崎~火の島を越えて~

日焼けの範囲が広がってきた竹氏です。


ナナハンちゃんから降りた後で半袖になったのが悪いですね!わかってたけど。


今日は久しぶりにPCで更新しています。溜まってくる動画データの移動も含めて行うために、先に言っちゃうけど本日のお宿は快活クラブです。


ネカフェ使う人生で2度目です。思いのほか食い物が高いですね。


涼しい環境で寝られるだけで十分な私としては、頼むわけもないのですが……100円の素うどんとかあれば頼んだかも。


さて、それでは参りましょう。


ライダーハウス『たのもし』さん、お世話になりました!


ご主人曰く「来年には閉めちゃおうと思ってる」とのこと。無くなるまでに泊まれてよかったです!


よかった、うん、タカアシ軍曹居たけど。奥さんが言うには、日南の家には居るらしく、殺してはいけないと言われているとか。


家蜘蛛は殺すななんて言いますが、軍曹も家蜘蛛に入るんですね。


そんな宿をあとにしまして、まず向かった先は数百メートルほど先のとある駅。






これでもかカープ。


ここまでくるといっそ潔い。赤い彗星もびっくり。


私、野球にはまったく詳しくないのですが、なんかカープの方々がキャンプで来られるとのこと。それを町ぐるみで推してる感じだそうで。


駅の中は普通、というか渋い部類の田舎駅です。外見は本当にケバッケバですが、それはそれで地元の誇りなのだからイイジャナイ!


この後、私は日南を出て鹿児島県の志布志へ向かったのですが、あわよくば日南線との並走とか撮れたらいいなーなんて。


そんな偶然は起こりませんでした。


そういうのは時刻表調べて行くんだよッ!というお叱りを受けそうな感じ。


ロケーションは完璧だったんですけどね。道路の横を並走するポイントにおいて、日南線にはフェンスありませんし、電化されてないですから架線柱もありません。


でも来なかったねぇ。後で見たらそのタイミングだけ上り下り両方走ってなかったねぇ(血涙


なので、腹いせに



C58 112とナナハンちゃんの写真に写りこんでやったわ!


旧志布志駅跡を利用した志布志鉄道記念公園にやってきました。


パッと見は綺麗な児童公園と広場なんですが、置かれてるものは渋いです。


まずはローカル線で活躍した優秀旅客機のシゴハチさん。


8620と9600のいいとこどりをして生まれ、中距離路線から都市部の入れ替えまで担当する万能な子です。


この112号機も、各地を転々とした最後の住処が志布志機関区だったとのこと。役目を終えてなお、日南線志布志駅を見守っています。


この子の姉妹たちは、未だに日本で走る姿を見ることができますよ。パレオエクスプレスの363号機と、SL銀河の239ですね。よければ会いに行ってあげてください。


シゴハチさんの後ろにはヨっさんがくっついていました。


今でこそ、貨物列車に車掌車なるものは連結されません、というかまともに車掌車が連結されている場面など、甲種回送くらいでしか見ることができません。


でも、昭和期の貨物列車には、緩急車であるワフ系列か、車掌車であるヨ系列かが連結されていたと聞いています。


その中で、この子はヨ8000型といい、大量生産された傑作の車掌車でした。


まぁ、951番というだけで、どれだけ大量に作られたか想像できるでしょう。しかし、前述したとおり、車掌車は現在では使われなくなり、ほとんどがその役目を終えて解体されています。


このヨっさんは現在、倉庫として使われているようです。なんか入ってるぞ( ゚д゚)ポカーン


機関車、車掌車と来て、最後はこの子。


キハ52系ディーゼル気動車です。門司港で会いたかったキハ42000系から数世代先の気動車ですね。


この子はキハ20系列の亜種で、曰くディーゼルエンジンを通常の倍、2基搭載することでパワーを上げた、急勾配路線向きとされています。


気動車は可愛い雰囲気の車両が多いですね。今でも現役のキハ40系列もそうですが。


これにて記念公園での目標を達成した私は、公園の隣にあるディスカウントストアにお邪魔しました。


アピアっていう名前は何から来たのでしょう?


とりあえず、コンビニで買うよりよほど安いので、飲み物とその場で食べるサンドイッチを購入。


ヨーグルッペってなんぞ。安かったから買ったけど。


飲んでみたら、リンゴ味のホワイトドリンクって感じでした。結構イケる。


ほんのり腹ごしらえを終えたので、志布志から鹿屋へ向かいます。


目指した先はここ。


鹿屋航空基地資料館です!日本一周で初めての博物館系施設となりました。本当なら門司港で……


海上自衛隊の装備品だった物から、帝国海軍で使われていた物たちが展示されています。無論、敗戦の少し前から行われた決死作戦……神風特別攻撃隊に関連する資料も含めて。


屋外には後継にその役目を譲ったであろう航空機たちが置かれています。このP-2Jは対潜哨戒機だとか。


対潜哨戒機とは、敵潜水艦を発見し攻撃するために特化した機体です。詳しくは調べてみてください。


練習機って黄色とかオレンジのイメージが強いですね。なんででしょう?


大きな錨ですが、いったい何の錨……?


帝国海軍の戦艦『比叡』のものでした。


日露戦争の後で造られた金剛型戦艦の2番艦で、御召艦として昭和天皇や愛新覚羅溥儀も乗った記録が残っています。


あとは魚雷、日本の誇ったロングランス、酸素魚雷がありました。


でも一番目を引いたのはコイツです。


でけぇ(小並感


日本が作った巨大な水上機、その名も二式大型飛行艇。通称二式大艇です。


こんなに大きいくせに快速で、米軍の大型機を追い回して攻撃したりもしてたとか。


とんでもねぇ野郎だなオメー。


実際、当時世界最高性能の飛行艇と称されたそうです。


館内は基本撮影NGだったのでほとんど写真ありませんが、帝国海軍の盛衰から現在の海上自衛隊の活動に至るまでの展示がありました。


特に、やはり神風特攻隊に関しての内容は、非常に重いものでしたね……知覧行けるかしら。


館内にはゼロ戦こと、零式艦上戦闘機も居ましたよ!


こいつだけは撮影可でした。


説明するまでもありませんねー、端折って説明するなら、高い運動性に高火力、大量に作られて太平洋戦争は最初から最後まで出ずっぱり。装甲はペラペラ、弾薬は不足気味、世界に名だたる二次大戦を代表する戦闘機の1つです。


ぐるっと一周、記念館を見た後は、桜島を目指して走ります。


正直、火山って言われるとニュース映像やゲームでしか見たことないんですよ。別にテオ・テスカトルが居るとは思ってませんが。


実際走ってみると、まぁあちこちにシェルターが。コンクリート造の常設型と、金属で造られた移動できそうな奴まで様々です。


走って走って、桜島の南部を横断したところで道の駅を見つけました。


今日のソフトはここに決定です。小ミカンってなんぞ(この謎は解けていません


クーラーの中で一休みして、今度は桜島火山の展望施設へ向かいます。といっても、普通の山みたいに上から展望って感じじゃなく、火山を展望する感じみたいですが。


バス居なかったので、バスの駐車場のど真ん中にナナハンちゃんを置いて1枚。


速攻で退却しました。邪魔になったら目も当てられません。


今日の桜島は穏やかだったようです。私がいる間に噴火とか勘弁な!いつでもダメだろうけど!まぁ……怖いもの見たさはありますが、生きて帰れる気がしないのでやっぱり遠慮しますぅ。


桜島からの移動は、フェリーが出ていたので利用します。


短距離フェリーは初めてですね。長距離はよく使いますけど。


桜島フェリーによる、およそ15分の短い航路。でも上の写真の通り、車は満員でした。


鹿児島港フェリーターミナルに到着した桜島丸とナナハンちゃん。


ここから近くに銭湯があると聞いて、そちらへ向かいます。


なるほど銭湯!なんとなく安心感を覚えるデザインです。


霧島温泉さんね……ん?温泉?


関西にも温泉と名の付く銭湯はたくさんあります。別にフツーの銭湯なんですが、昔はそれで流行ったのだとか。そのパターンか?


と、思っていたらガチ温泉でした。泉質が違うわ。


ヌルッとするお湯は、どう考えてもただの水道水ではありません。こりゃレベルが高いなぁ……シャワーのお湯の勢いはびっくり消極的やけど。


お風呂を堪能した後、近くの公園横に市電の車庫がある情報をつかんだので行ってみました。


車庫の前にナナハンちゃんを駐車してたら、市電の運転手さんに話しかけられ、同じナナハンK乗りだと聞かされる衝撃。あの子はやっぱり人気者です。


以上!5日目の動きでした!


明日からは指宿枕崎方面へ向かいまーす。

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