ナナハンと一緒に日本一周・20代紀行

1975年式CB750four K4と20代中盤の阿呆が、京都発でのんびりぼんやり日本一周します。

日本一周22日目・上陸の地へ……そして1つの区切り

自動販売機の冷た~いレモンスカッシュを買ったら常温だった竹氏です。


うん……破裂しなければそれでいいや!!


さてさて今日は九州最後の県にして、最大都市を抱える福岡県を中心に回りましたので、それを時系列で参りましょう!


朝は太宰府市、6時前からやや気温高めですね。


とりあえず(開いてないだろうとは思いつつも)、太宰府天満宮を見ていくかとナナハンちゃんを起こします。


太宰府と言えば鉄道唱歌に『千歳のむかし大宰府を おかれしあとは此処 宮に祭れる菅公の 事績かたらんいざ来たれ(鉄道唱歌 第二集42番)』と歌われ、続けて46番までが、菅原道真に関して歌われます。


だので、とりあえずちょい見だけでもー!


と思ったらまぁバイク止めれない。駐車場わからない。ヘルメットカメラで軽く捉えて、素早く退却しました。うん、もういいや!!


その後向かったのは熊(兄)のお題1号であった、貝塚鉄道公園です。公園っていうからには時間とか曜日とか関係ないでしょ!


あるんかーい!!!( ; ゚Д゚)


これにはさすがの竹氏もビックリガッカリ。子供遊園地的なノリなのでしょうか。


まぁ、目的物は外からでもなんとか撮影できたのでよしとします。


SLは9600形49627。豊後森の29612の姉妹ですね。
うーんボロボロ……露天放置は可哀想ですね(。>д<)


その後ろに牽かれているのは、ブルートレインという言葉を生んだパイオニア、『20系客車』です。
特急用として作られた寝台車で、走るホテルとさえ呼ばれた当時としては豪華な客車でした。


詳しくは割愛しますが、非常に貴重な車体です……あの、屋根を……(゜ロ゜)


ついでに49627よ、お前は20系牽いたことないだろう(笑


とりあえずで熊(兄)のお題をクリアし、次の目標地点へ。時間的に都市部は混みだしていましたが致し方ありません。


志賀島へ続く道、海の中道へやってまいりました!写真奥が志賀島です。


今日のTOPにも載せたように、島へと続く道は左右を海に挟まれており、すぐに海岸です。まぁ景色はなかなかに素晴らしいものでした。


でも砂浜の治安は悪い様子。花火くらいちゃんと持って帰って捨てなさいよ。


もう1つは私個人として、もう二度とナナハンちゃんで砂地には入りたくないです。いやーもうフロントタイヤから埋まっていきますわ!!TL125Sイーハトーブが懐かしい……


この後、とりあえずぐるりと志賀島を一周しましたが、名物とされる金印ドッグなるものは昼からしか販売していないらしくガンスルー。また来た道を戻ります。


実は先日、久留米でおいしいラーメン屋さんの情報をフォロワーさんから聞いていたのですが、近くに風呂がない病にかかった私は太宰府へ移動してしまい食べ損ねていました。つまり、頭の中はラーメンでいっぱい、お腹はすでにぺっこぺこです。行くしかねぇ!博多だぁ!


朝からやっているラーメン屋を探して、混雑する道に苦戦しつつ、たどり着いた先


某身内のお猿と関係があるかもしれないと一瞬思いました。各地に長浜という地名はあるのでしょう。


1杯500円のラーメンです。頼んだら30秒以内で出てきました。もともとは忙しい人向けの店だったのでしょうか?いや、今もそうなのかもしれませんが。


スープは塩豚骨かなぁ……この辺りは自分の味覚が信用ならないので疑問形。上に乗った肉がすごく味が濃くて美味しかった!慌てて食べた博多ラーメンは、素晴らしい一品となりましたよ。


腹が膨れりゃ次はまた移動!目指すは筑豊炭田の中心地、直方市です。


まーた道中は混みあっていましたが、1時間ほどで目的地へは到着しました。それがここ


『直方石炭記念館』です!平日で空いていたからか、マンツーマンで案内してくださることに。これはいい機会です。


この展示室の1つとなっている古い建物は、現在から108年前に建築され、当時の筑豊炭田で各炭鉱の経営者が集まっていた組合の建物だったそうです。それも、もしかすると、中央財界にある財閥と呼ばれる権力団体への一種、力を誇示する目的で作られたのでは?とのこと。


木造モルタルで作られた近代建築ですが、水道設備がなく、2階に大会議室が存在しています。


そしてこの施設の裏手で行われていた炭鉱救援隊訓練に合わせて、当時ドイツやイギリスから輸入された救命具が飾られていました。


このエアボンベ付きガスマスクは、3時間も耐えられなかったとのこと。


救援隊訓練用のトンネル。こちらは炭鉱の終わり部分を模していたようで、逆側から入ってくるのが基本だったようです。


2F大会議室。部屋の中に柱がなく、大きな開けた空間となっていました。ここにそのエライさんたちが集まり、石炭の動向や採掘方法などを議論していたのでしょう。


石炭の層の一部をそのまま持ち出したものだそうです。石炭とはメタセコイアの木が地層に埋まり、さらに上から折り重なって圧力でつぶされて、炭素以外の部分を失った状態の物を指すようです。だからとても脆く、簡単に砕けてしまうので、このような大きな形で取り出すのは非常に難しいのだとか。


いろんな炭。豆炭のような成型炭は見かけたりしますね。


磨かれた石炭。この状態まで磨き上げるのは至難の業だそうで、砕けやすい石炭をきれいに磨いて宝飾品にするようなことはできそうにありません。割に合わんですよ。


当時の炭坑内を模したジオラマ。


これは本館側(新しい建物)の2Fに収蔵されていた当時の筑豊炭田周辺の鉄道写真です。筑豊炭田からの輸送は、鉄道がその主力となっていました。


最盛期の直方駅線路図です。3基に及ぶ複数の転車台に大量の引き込み線、そして扇形機関庫……ここの館長さんは当時直方で機関助手をされていたそうで、1500人の人員が機関区で働いていたと仰っていました。すさまじい規模ですね。


表に飾られていた構内鉄道の人車。構内では石炭やボタを運ぶ貨物列車を列車と呼んだため、人間を乗せるものを区別して呼称していたそうです。


隣に飾られていたC11 131。館長さんはこれが初仕事の機関車だったとか。今年の4月頃にお色直しが施され、とてもきれいな状態になっています。


後ろに連結されていたのは石炭輸送用二軸貨車セム1です。昔はこいつを沢山牽いて、C11も走っていたのかもしれませんね。貴重な貨物車両です。


えーっと?君は誰だ。


話によれば、この機関車は当時、直方に自分たちで敷設した鉄道で使うために、貝塚という名前の炭坑が個人で買い上げた5両の機関車のうちの1両だとか。どんな大富豪だよ。蒸気機関車の大人買いかよ!


ドイツ製のコッペル32号蒸気機関車というそうです。初めて聞いた。
1C1の軸配置、密閉型のキャブ、そして特徴的な中心からずれた煙室扉。この子も数年前にお色直しがあったらしく、露天なのにきれいに保管されている部類だと思います。


後ろにはロト22というまた変わった貨車を牽いていました。多分この子はもともと自動連結器じゃない……。


日本を支えた石炭。その国内需要の52%を供給したとされる一大採炭地筑豊。実に面白い場所でした。ぜひ訪れてみてください!


その後は水分を補給したのち、いよいよ上陸の地門司へ。前はGenk-en氏が居ましたが、今度は1人で向かいます!


ただいま門司港。そして今日こそは……熊(兄)の課題をクリアせねば!


ちょうど海外のツアー客と鉢合わせたので、そそくさと室内へ逃げ込みます。


この建物も文化財だそうです。官営になる前の九州鉄道の本屋(ほんおく)だったとか。


入っていきなり目に入るマッチ箱客車。明治期の客車ですね。かわいい。


チブ……どういう名づけなんでしょう?命名規則がまったくわかりません。


京都鉄博をぎゅっと小さくしたような配置ですね。1Fにはお土産物の売店と鉄道模型ジオラマが。


2Fに飾られたヘッドマーク。懐かしいなぁ。


こちらはSLのナンバープレートですね。比較的メジャーな連中が並んでます。


再びヘッドマーク。なぜこんなに大量に……ん?


うれしくなった瞬間です。乗ったよぉ!


私が最後に乗ったブルートレインのヘッドマーク……今になって、中学生のあのころに乗れていたのは本当に奇跡だったと思います。たらぎさんでもノスタルジィでしたが、これは……うん、いいな!


ややお客さんが退いたので、外の保存機へ。


481系電車……だったと思う。こういうボンネット型も消えていきましたね。


583系電車。電車夜行特急という珍しい分類のパイオニアです。個人的には晩年まで急行『きたぐに』で使われていたイメージが強いですね。でも月光型電車の別名もあるのね。


ブルトレたらぎさんで使われているものと同形式の14系客車。ヘッドマークのさくらは九州行き特急の代表でした。


ED72 1電気機関車。こいつの説明は私では手に余ります。とりあえず動輪4軸の交流電気機関車の試作機だったとかなんとか。



EF10 35電気機関車。
デッキ付きの旧型機関車ですが、関門トンネルを突破する車両をけん引するために配備された新鋭機でした。塩害から車体を守るため、何重にもブドウ色の塗装が施され、それをもってもなお腐食するという環境と戦い続けた機関車です。


晩年は後継機にその座を譲り、各地を走っていたそうです。


C59 1蒸気機関車。
トップナンバー!なんと美しいことでしょう!

3シリンダーで整備が困難、故障が頻発したC53を代替する目的で開発された幹線用主力機関車です。C62が登場するまでを主力で走りぬいた優秀な機関車だったそうな。


現状、動態保存がないので、この子は動かないのかと期待しています。


ほかにも蒸気は美しい9600が居たのですが、写真を撮り損ねていました。動画だけだから上げられないの。


気を取り直して最後!


この子に会いたかった!!


キハ07 41ディーゼル気動車です。
日本の大型気動車の祖にして、当時流行った流線形の車体を持つ美しい気動車ですね。


誕生当初はキハ42000型と呼ばれたガソリンカーでしたが、大阪の西成線を走行中にインシデントから脱線転覆……燃料に引火して炎上し多大な犠牲を出したことから、ガソリンカーを淘汰するきっかけを作った車両でもあります。


それでも、キハ10系列と呼ばれる液体変速機を搭載した現在へ続くディーゼル気動車が登場するまで、日本国内各地を走った機械変速機式ディーゼル気動車でした。また、各地の私鉄にも払い下げられたりしています。


このキハ07 41は原型に近いというか、原型のままっぽいのですが、日本国内ではまだ動いているキハ07系と会える場所があります。調べてみてください!特にまいてつファンの皆さんは……岡山県ですよ。


いやーいいもの見れた……と思ったらまた熊(兄)から指令が。


近くにまだ保存機がある?そろそろ竹氏程度のにわか鉄にはお腹いっぱいなんですが……行くしかないか。


いやガチやん!


トロッコ線の終点駅がある公園にドーンと置かれていました。フルステンレスの電気機関車EF30 1です。なんでこんなとこに。


と、思ったら、後ろには旧型客車が連結されているではありませんか。それも何やら店っぽい。


おぉー!
カフェ兼休憩室として使われているようです!なぜか店員さんが居なかったため注文はできず。


当時のままって雰囲気が素敵ですね。モケットとか網棚とか。


この水道……蛇口ひねったら使えました。やってくれおる。


そうこうしていると、昨今の災害から復旧したトロッコ潮風号が入線しました。もう最終便のようです。乗ってみたかった気もしますが、それはまた今度に!


さて……これで本当に最後です。何がって、今回九州でやることがですよ。


ラストショット。


いい場所だったなぁ……いい人たちだったなぁ……いい道だったなぁ。いろいろ思い出せますが、郷愁に浸るのはまだ早い!それに、絶対絶対また来ます!大好きな場所になりました!


さらば九州!また会う日まで!


ナナハンちゃんにまたがり、後ろ髪をひかれながらも関門トンネルへと突入していきました。


それからは山口県!いよいよ本州山陰地方攻略の始まりです。


まぁ、今日はもうほとんど進まないんですけど。とりあえず周囲を調べるために立ち寄ったドラッグストア。


そこでまたナナハンちゃんを見たおじ様が話しかけてくださいました。ので!ついでついでとばかりに飯屋を紹介していただきました。


こうかいて『がちりん』と読む。
鉄板焼きのお店でした。さてさて、関西以外じゃ手を出さない分野ですが……


広島焼。外で食べるのは初めてでしょう。だってお好み焼きばっかりだし……


下に麺類が入るのはモダン焼きと一緒ですが、うどんってのは……そして食べてみて思うのはおいしいんですけど、地元の豚玉モダンが食いたいと。なぜだ。私の中にある半分の大阪の血のせいか!


ま、まぁいいや。お腹膨れたし。お店もお忙しかった雰囲気なので、食べたらそそくさと退散です。


コインランドリーに洗濯物をぶち込み、その隙に銭湯へ。


漂う薪が燃える匂い。期待に胸が膨らみます。


本日の銭湯『だるま湯』さんです!しぶーい!


古いローカル線の駅のような内装でした。青緑色の柱がきれい。


そしてお風呂はシャワーが温く、湯船が熱い。トラップです。


薬湯で体を温めてから、深湯に入ったら座れないような温度でした。薪焚きめぇ……お湯は柔らかいがこれはすごいぞ!


徐々に体を慣らして浸かれば、一気に体から毒気が抜けた感じ……地元の銭湯さんは元気かなぁと思い出すほどです。


とてもいいお湯でした!あっちぃのには慣れが必要なので、長湯はとても無理ですが!


以上!本日はここまで。


近いうちに九州の総括をかきまーす!
では、またよろしくお願いします。



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